自炊するって、ただの家事じゃなかったんだ
「はぁ〜今日もごはん作らなきゃか…」
毎日のように思ってました。
正直、自炊って手間も時間もかかるし、誰かのためにやるってなると余計にめんどくさい。
でも、くどうれいんさんによる「食べること」にまつわるエッセイ『湯気を食べる』を読んで、
そんな「自炊=面倒」だった自分の思い込みが、
ふわっと湯気みたいに、少し軽くなった気がしたんです。
たまご丼ひとつで、心がほどける瞬間がある
この本には、ひとりの昼ごはんに「たまご丼」を作る話が出てきます。
ふわっと湯気が立つ、あつあつのたまご丼ぶり。
誰のためでもない、自分のために作った料理。
それを、誰にも見せることなく、ただ「今、食べたいから食べる」。
その潔さと丁寧さに、ちょっと羨ましさと空腹をおぼえました。
羨ましいなら、丁寧に自分が食べたいものを食べたらいいのに。
余裕があるからするんじゃなくて、
余裕がない時こそ、自分の人生に納得するために、
自分のためにちゃんとごはんを作ることって、「自分を整える」ことなんだって。
食べたいものを食べるって、すごく人間らしくて、すごく大事なことだったんだなと。
余裕があるからするんじゃなくて、
余裕がないときこそ、自分の人生に納得するために、
ちゃんとごはんを作る。
それって「自分を整える」ってことなんだなぁと。
食べたいものを、食べたいときに食べるって、
すごく人間らしくて、すごく大事なことだったんだなって。
くどうさん自身も、
整えることは「自炊すること」と「書くこと」だと言っていて、
その言葉には、重みと説得力がありました。
「食べること」は「生きること」の縮図だった
シェーキーズのピザ、ねぎとろ、せり鍋、うーめん…
どれも「ただの食べ物」じゃない。
思い出や気持ちが染み込んだ、大切なシーンとして描かれていました。
「食べれればなんでもいい」じゃなくて、
「自分で選んで食べている」ことが、
未来を選び取ることにつながっていく。
その感覚、すごくしっくりきたんです。
私自身、「今日これ食べたいな」って自分の声を聞いて、
ちゃんとごはんを作って食べると、
なんだかすこし元気が出たり、明日もやってけそうって思えたりする。
そんな感覚を大事にしたいなぁと思いました。
自炊って、わたしへの手紙かもしれない
『湯気を食べる』を読んで、
「食べることを大事にすることは、自分を大事にすること」
そんな当たり前のようで忘れがちなことを思い出しました。
食卓から立ちのぼる湯気に、
「今日もちゃんと生きたぞ!」ってちょっぴりそんな気がしました!
読んでからというもの、
ちょっとだけ料理が楽しくなりました。
たまご丼ひとつでも、ちゃんと自分に「おつかれさま」って言えるようになった気がする。
リンク貼っておくので、気になったらのぞいてみてください👇
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